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東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)247号 判決 1990年1月18日

アメリカ合衆国ニユージヤージー州 〇七九六〇

モーリスタウンシツプ コロンビアロード アンド パークアベニユー

原告

アライド コーポレーシヨン

右代表者

ロイ エイチ マツセンジル

右訴訟代理人弁護士

大場正成

尾﨑英男

右訴訟代理人弁理士

伊沢宏一郎

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官 吉田文毅

右指定代理人通商産業技官

宇山紘一

田中久喬

同通商産業事務官

柴田昭夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を、九〇日と定める。

事実

第一  当事者が求めた裁判

一  原告

「特許庁が昭和五八年審判第九九五七号事件について昭和六三年八月四日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文第一項及び第二項同旨の判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五〇年一一月二七日、名称を「磁心装置」とする発明(後に、「磁心」と補正。以下「本願発明」という。)について、一九七四年一一月二九日アメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和五〇年特許願第一四一八一〇号)をしたが、昭和五七年一二月一六日拒絶査定を受けたので、昭和五八年五月一〇日審判を請求し、昭和五八年審判第九九五七号事件として審理された結果、昭和六一年七月一四日特許出願公告(昭和六一年特許出願公告第三〇四〇四号)されたが、特許異議の申立てがあり、昭和六三年八月四日、特許異議の申立ては理由がある旨の決定と共に、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年九月一〇日原告に送達された。なお、原告のための出訴期間として九〇日が附加された。

二  本願発明の要旨

少なくとも五〇%が非晶質であり、かつ、左記の式で表される組成を有する磁性合金から成ることを特徴とする、電磁装置用磁心

(FE)70-85T0-15X15-25

〔ただし、右式中のFEは、鉄、コバルト及びニツケルから成る群から選ばれる少なくとも一つの元素を表し、コバルトは全FE成分の五七・六%を超えて含まれることはなく、

Tは、少なくとも一つの遷移金属元素を表し、

Xは、アルミニウム、アンチモン、ベリリウム、ホウ素、ゲルマニウム、炭素、インジウム、リン、ケイ素及びスズから成る群から選ばれる少なくとも一種のメタロイド元素を表し、

数字は、原子%を表す。〕

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は、前項記載のとおりと認める。

2  これに対し、本件優先権主張日前に頒布された刊行物である日本金属学会昭和四九年度秋期(第七五回)大会の「シンポジウム講演予稿」第四〇頁~第五二頁(以下「引用例」という。)には、Fe系非晶質合金(以下「引用例記載の非晶質合金」という。)の磁性材料としての特性が示されている。すなわち、

a 第四四頁表1に、非晶質合金の組成(FE80P13C7, FE60N120P13C7, FE72Cr8P13C7)が、磁気モーメント及びキユリー温度と共に記載されている。

b 第四五頁左欄第四一行ないし第四三行には、「Cioffi型のB-Hループ積分器で約二〇枚のリボンを重ね巻きしたトロイダルコア試料の場合および一枚の試料の場合についてB-H曲線を測定した。」旨の記載が認められる。

c 第四五頁図1は、Fe-13P-7C合金のトロイダルコアのヒステリシスループを示しており、その説明として、コアの平均抗磁力Hcは約〇・〇九Oeであつて軟磁性に属し、残留磁気Brは約四一〇〇Gであつて、この値は飽和磁気Bs一一九〇〇の約三五%である旨の記載が認められる。

d 第四六頁図2は非晶質Fe-13P-7C合金の張力下におけるヒステリシスループを、図3は同合金の残留磁気Brと抗磁力Hcの張力依存性を示しており、同頁右欄第三行第四行には「以上のごとく、Fe、Co系の非晶質金属は磁化過程において顕著な軟磁特性を示すことが分つた。」旨の記載が認められる。

3  本願発明と引用例記載の非晶質合金とを対比すると、引用例の表1に記載されている合金組成は本願発明の組成式の範囲に含まれているので、両者は、合金組成において一致し、左記の三点において相違すると認められるが、その他には格別の相違が認められない。

<1> 非晶質の割合が、本願発明においては少なくとも五〇%であるのに対し、引用例には右割合について記載されていない点

<2> 本願発明が非晶質合金をその要旨とする組成式の範囲に限定しているのに対し、引用例にはそのような限定が記載されていない点

<3> 本願発明が非晶質合金を電磁装置用磁心に用いているのに対し、引用例にはその用途が明確に記載されていない点

4  各相違点について検討する。

<1> 本願発明の特許出願公告公報(以下「本願公報」という。)の発明の詳細な説明(第二欄第一五行及び第一六行)には、「本発明の電磁装置用磁心は非晶質磁性合金からなる。」との記載がある。この記載と特許請求の範囲の記載とを勘案すると、本願発明の非晶質合金は非晶質でない部分をも含むことになるが、非晶質が主体である以上、主体とする部分が半分よりも多くなければならないから、本願発明の要旨中、「少なくとも五〇%が非晶質であり」は、当然の記述にすぎない。

一方、引用例記載の非晶質合金がどのような状態であるのかは不明であるが、完全に非晶質であるとは考えられないから、引用例記載の非晶質合金も「少なくとも五〇%が非晶質」であると認めるべきであつて、両者の間に格別の相違は認められない。

<2> 本願公報第三欄第一八行ないし第二〇行には、本願発明の非晶質合金が「電磁装置の磁心として使用するのに必要とされる非常に低い保磁力、高透磁率、高電気抵抗率その他の望ましい特性を示す。」と記載されている。したがつて、本件発明が非晶質合金をその要旨とする組成式の範囲に限定する根拠は、右のような諸特性が得られるか否かにあるものと認められる。

しかし、一般に、磁性材料から磁心に適したものを選択する場合、材料の諸特性を考慮して選択することは技術常識にすぎないから、本願発明における非晶質合金の組成式の限定は、当業者が容易に予測し得た範囲と認められる。

<3> 引用例には、その引用例記載の非晶質合金を電磁装置の磁心に使用することは記載されていないが、例えば、非晶質合金Fe80P13C7が含まれている試料をリボン状にしこれを巻き重ねしてトロイダルコアとし、その特性を測定した例が示されており、また、前記のとおり、引用例記載の非晶質合金が軟磁特性を示すことが明記されている(第四六頁右欄第三行~第四行)以上、軟磁特性を有する磁性体の代表的な用途が電磁装置の磁心であることを考慮すれば、引用例には、本願発明と同じ組成を有する引用例記載の非晶質合金を、電磁装置の磁心に用い得ることが示唆されていると認めることができる。

5  以上のとおり、各相違点に係る本願発明の構成には格別の創作力が認められないから、本願発明は、引用例記載の技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであつて、特許法第二九条第二項の規定により、特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

引用例に審決認定の技術的事項が記載されており、本願発明と引用例記載の非晶質合金が審決認定の一致点及び相違点を有することは争わないが、審決は、相違点<3>の判断に当たり引用例記載の技術内容を誤認した結果、本願発明の進歩性を誤つて否定したものであつて、違法であるから、取り消されるべきである。

1  ある磁性材料を磁心に採用するためには、磁性材料が有する諸特性のうち、磁心の具体的用途に応じて特に強く要求される特性の組合わせを備えていることを確認する必要がある。

本願発明は、その要旨とする特定の組成の非晶質合金が、電磁装置の磁心に要求される特性の組合わせ、すなわち「低保磁力、高透磁率及び高電気抵抗率」において、従来実用されていた磁性材料より優れていることを初めて見いだしたものである。

2  前記のとおり、電磁装置の磁心に採用され得る磁性材料は幾つかの特性の組合わせを備える必要があるのであつて、軟磁特性を有する(すなわち、保磁力が低い)磁性材料がすべて電磁装置の磁心に適するものではない。

したがつて、引用例には、引用例記載の非晶質合金が本願発明と同じ組成を有し、かつ、顕著な軟磁特性を有することが記載されているが、右合金が電磁装置の磁心に要求されるその他の特性の組合わせを備えていることは開示されていないのであるから、引用例によつて引用例記載の非晶質合金が電磁装置の磁心に用い得ることが示唆されているということはできない。すなわち、引用例が明らかにしている引用例記載の非晶質合金の特性は、保磁力こそ従来実用されていた磁心材料よりも低いが、透磁率は従来実用されていた磁心材料が一〇〇〇〇〇以上であるのに比較すると明らかに低く(第四五頁図1の磁気曲線によれば、最大でも四〇〇〇〇以下である。)、残留磁気も飽和磁気の三五%に及ぶ(第四五頁右欄第一六行ないし第一八行)など、従来実用されていた磁心材料よりも電磁装置の磁心に不適な特性が示されており、電気抵抗率については何ら記載が存しないのであるから当業者が引用例記載の非晶質合金を電磁装置の磁心に採用することを考える必然性はなかつたのである。

なお、磁心材料の透磁率について、被告は、従来実用されていた磁心材料の最大透磁率は一〇〇程度から一、〇〇〇、〇〇〇程度までの広い範囲であつて引用例記載の非晶質合金の透磁率は右実用の範囲内であると主張する。しかしながら、低透磁率の磁心材料であつても実用される場合があるのは、具体的用途に有用な他の特性を備えているからであつて、被告の右主張は失当である。

3  のみならず、引用例の第四六頁右欄第三三行ないし第四七頁左欄第七行には、非晶質合金Fe-13P-7Cについて、「試料(厚さ約三〇μ)に垂直に一軸異方性がある」と記載され、ジグザグの磁区模様の写真が示されているが、右のような記載がある以上、当業者ならば引用例記載の非晶質合金を電磁装置の磁心に採用することは絶対に考えない。すなわち、

磁心の基本的な機能は、コイルを流れる雷流により磁心円周方向に外部磁力が生じ、右外部磯力によつて磁心内に外部磁力と同方向の磁化が誘起されることであるから、磁心に適する磁性材料とは、その円周方向に容易に磁化が誘起されるもの、換言すれば、磁性材料内の磁気モーメントの方向(磁化容易軸)が磁心円周方向にあるものである。ところで、非晶質合金は製法上の制約から薄板状となるので、これを巻き重ねて磁心を形成するのであるから、磁化容易軸が磁心円周方向になるためには、採用される非晶質合金の磁化容易軸が薄板の平面内に(好ましくは長さ方向に)存在しなければならない(この場合の磁化は磁壁移動磁化であつて、容易に行われる。)。本願明細書には、本願発明の非晶質合金の磁化容易軸が薄板の平面内に存在することは明記されていないが、磁化容易軸が磁心円周方向になるように設計すべきことは当業者によつては自明の事項である。

しかるに、引用例記載の非晶質合金は、磁気モーメントに強い異方性エネルギが働いている結果、磁化容易軸が薄板の平面に対して垂直の方向にあるので(このことを、引用例は、前記のように「垂直に一軸異方性がある」と表現しているのである。)、これを巻き重ねて形成した磁心の磁化容易軸は磁心円周方向に対して垂直になつてしまう。したがつて、そのような磁心を磁心円周方向の外部磁力によつて磁化する場合は、磁化は回転磁化となつて非常に大きな外部磁力を必要とするので、およそ合理的でないのである。

ちなみに、本願発明の非晶質合金と引用例記載の非晶質合金は組成を同じくするのに、その磁化容易軸の方向が異なるのは、非晶質合金の製造方法が異なることによつて合金の非晶質構造、ひいて磁気構造に差異を生じたものと考えられる(引用例記載の非晶質合金は、その第四五頁左欄第三〇行に記載されているように、遠心急冷法によつて試料が作成されている。本願明細書は実施例の非晶質合金の製法を明記していないが、最も慣用されている単ロール法によつて作成されたものである。)。この点について、被告は、引用例には遠心急冷法以外にも多くの非晶質合金の製造方法が開示されているから「垂直に一軸異方性がある」もの以外の非晶質合金について電磁装置の磁心に用い得ることが示唆されていることに変わりはないと主張する。しかしながら、引用例において「顕著な軟磁特性を示す」とされたFe-13P-7C合金は遠心急冷法によつて作成されているのであつて、それ以外の製法は開示されていない。

第三  請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認める。

二  同四は争う。審決の認定及び判断は正当であつて、審決に原告主張の違法はない。

1  軟磁性材料の主たる用途が各種電磁装置の磁心であることは本件優先権主張日前の技術常識であるから、ある金属に軟磁特性が認められれば、当然に電磁装置の磁心としての用途が想定される。そして、引用例には引用例記載の非晶質合金が軟磁特性を示すことが明らかにされているのであるから、引用例によつて引用例記載の非晶質合金を電磁装置の磁心に用い得ることが示唆されるのは当然である。

2  原告は、引用例記載の非晶質合金は透磁率が最大でも約四〇〇〇〇と低く実用性がないと主張する。しかしながら、従来実用されていた磁心材料の透磁率は一〇〇程度から一〇〇〇〇〇〇程度までの広範位にわたつており、引用例記載の非晶質合金の最大透磁率はもとより右実用の範囲内にあるから、原告の右主張は失当である。

3  原告は、引用例には引用例記載の非晶質合金は磁化容易軸が薄膜の平面に対して垂直であることが記載されておりそのような非晶質合金を磁心に採用することは合理的でないと主張する。

しかしながら、引用例には、遠心急冷法によつて得られる非晶質合金は磁化容易軸が薄膜の平面に対して垂直になることが記載されているのみであつて、引用例には遠心急冷法以外に多くの非晶質合金の製造方法が開示されているのであるから、引用例によつて引用例記載の非晶質合金を電磁装置の磁心に用い得ることが示唆されているとする審決の判断に誤りはない。このことは、引用例第四五頁左欄第一一行以下に「非晶質合金に特有な優れた電気的、機械的性質と磁気特性とを組合せることによつて、新しい磁気応用材科の可能性が考えられる。」と記載されていることによつても裏付けられるというべきである。

付言するに、原告は、その磁化に非常に大きな外部磁力を要することを、磁化容易軸が薄膜の平面に対して垂直の非晶質合金は磁心に適さないとの主張の論拠とするのであるが、非晶質合金の磁化に必要な外部磁力の大きさは、磁心の寸法、コイルの巻数、残留磁気あるいは飽和磁気等に依存するのであるから、およそ磁化容易軸が薄膜の平面に対して垂直の非晶質合金は磁心に適さないと一概にいうことはできない。

第四  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否を検討する。

1  成立に争いない甲第二号証(本願発明の特許出願公告公報)によれば、本願発明は左記のような技術的課題(目的)、構成及び作用効果を有するものと認められる。

(一)  技術的課題(目的)

本願発明は、非晶質合金から成る電磁装置用磁心に関する(第一欄第一七行ないし第一九行)。

変圧器、モーターあるいは発電機等の磁心装置は弱磁性材で構成される磁心を有するが、弱磁性材に要求される顕著な特性は、

a 磁気サイクル中の内部摩擦によつて生ずるヒステリシス損が少ないこと

b 磁束変化による誘発電流に起因する渦電流損が少ないこと

c 保磁力が低いこと

d 高透磁率(場合によつては、低磁界強度における定透磁率)を有すること

e 高飽和価を有すること

f 特別の用途における温度変化によつて透磁率の変化が、最小もしくはわずかであること

であり、また、コスト、入手容易性及び加工容易性も重要である(第一欄二〇行ないし第二欄第八行)。

電磁装置用磁心に適した多数の合金が開発されているが、本願発明の目的は、前記特性が改良されている新規な組成物を提供することにある(第二欄第九行ないし第一四行)。

(二)  構成

右課題を解決するため、本願発明はその要旨とする構成を採用したものである(第三欄第二一行ないし第三四行)。

(三)  作用効果

前記構成を有する非晶質合金は、電磁装置用磁心に必要とされる非常に低い保磁力、高透磁率及び高電気抵抗率等の望ましい特性を示す(第三欄第一七行ないし第二〇行)。

磁心は強度が高いほど回転速度を高め得るので、モーターあるいは発電 等のように高遠心力が存在する用途の場合には引張り強度が重要であるが、本願発明の非晶質合金は、個々の組成によつて、二〇〇、〇〇〇~六〇〇、〇〇〇psi(一四、〇六〇~四二、一八〇kg/cm2)の高い引張り強度を示す(第四欄第三四行たいし第四二行)。

また、電気抵抗率が高ければ、ACの用途における渦電流損を最小にするのに役立ち磁心損失を低めることが可能であるが、本願発明の非晶質合金は、一六〇~一八〇ミクロオーム/cm(二五℃)の高い電気抵抗率を示す(第四欄第四三行ないし第五欄第四行)。

さらに、本願発明の非晶質合金は構造性ないし延性が良好であつて、パンチングあるいはスタンピング等の機械的処理によつても磁気特性が変化しない(第五欄第五行ないし第一〇行)。

のみならず、本願発明の非晶質合金から成る磁心は、同一の金属含量を有する従来の組成物よりも低い保磁力が得られるので、比較的高価なニツケルに対して比較的安価な鉄を従来より多量に使用し得る特微を有する(第五欄第一二行ないし第一六行)。

2  一方、成立に争いない甲第三号証によれば、引用例は、日本金属学会の大会におけるシンポジウム講演のうちの「S/非晶質金属の構造と物性」と題するシンポジウム講演の予稿であつて、一五の項から成つており、その10項は「Fe系非晶質金属の磁気的性質」(以下「予稿10」という。)、11項は「強磁性非晶質体(Fe-P-C系)の磁化過程」(以下「予稿11」という。)と題するものである。

そして、本願発明と引用例記載の非晶質合金とが審決認定の三点において相違し、かつ、相違点の及び相違点<2>に係る本願発明の構成が当業者ならば容易に予測し得たものであることは、原告も明らかに争わないところである。

3  しかしながら、原告は、審決の相違点<3>の判断(すなわち、本願発明はその非晶質合金の用途を電磁装置の磁心とすることを要旨とするが、その点は引用例によつて示唆されている。)は誤りであると主張するので検討するに、予稿11には、「平均の抗磁力Hcは約〇・〇九Oeで(中略)軟磁性に属する。(中略)このような軟磁性は非晶質の等方的性質に起因しているように思われる。」(第四五頁右欄第一一行ないし第一五行)、及び「Fe、Co系の非晶質合金は磁化過程において顕著な軟磁特性を示す」(第四六頁右欄第三行ないし第四行)旨の記載が認められる。

ところで、成立に争いない乙第一号証(近角聡信著「強磁性体の物理」合名会社裳華房昭和三八年四月一〇日発行)第三一二頁、乙第二号証(山中俊一ほか一名著「近代電気材料工学」株式会社電気書院昭和四五年九月一日発行)第二九七頁、及び乙第三号証(太田恵造著「磁気工学の基礎Ⅱ」共立出版株式会社昭和四八年一一月五日初版発行)第三九八頁によれば、変圧器、発電機あるいは電動機等の磁心(コア)に適する磁性材料は、透磁率が高く、保磁力が小さく、飽和磁束密度が大きく、電気抵抗率が大きく、ヒステリシス曲線が細いものであつて、このような磁性材料は外部磁力に対して敏感に変化する(容易に磁化し、また容易に磁化を減少する)ので、磁気的性質が軟らかい、すなわち「軟磁特性」を有すると称されることが認められる。

そうすると、引用例には、前記のとおり、引用例記載の非晶質合金が顕著な軟磁特性を有することが記載されているのみならず、前掲甲第三号証によれば、予稿11には、「約二〇枚のリボンを重ね巻きしたトロイダルコア試料」(第四五頁左欄第四一行及び第四二行)と記載され、第四五頁右欄の図1にその細いヒステリシス曲線が示されていることも認められるのであるから、結局、引用例には、引用例記載の非晶質合金が電磁装置の磁心に用い得ることが十分に示唆されているというべきである。

4  この点について、原告は、引用例には、引用例記載の非晶質合金が電磁装置の磁心には不適の特性が記載されており、とりわけ、第四六頁右欄第二〇行以下の「強磁性非晶質体(Fe-P-C)の磁化過程(その2)磁区観察」と題する12項(以下「予稿12」という。)には引用例記載の非晶質合金が試料に垂直に一軸異方性を有することが記載されているが、当業者ならばそのような非晶質合金を電磁装置の磁心に採用することは絶対にあり得ないと主張する。

ところで、原告が、引用例記載の非晶質合金について、電磁装置の磁心には不適の特性として指摘するのは、透磁率が低く(第四五頁右欄の図1)、残留磁気が大きい(同頁右欄第一六行ないし第一八行)という点であるが、前掲甲第三号証によれば、これらは、引用例に係るシンポジウムが対象としている非晶質合金のうち「遠心急冷法」(第四三頁右欄第二一行、第四四頁左欄第六行、第四五頁左欄第三〇行)によつて製造された非晶質合金について認められた特性の記述であり、予稿12において取り上げられている非晶質合金も「フイラメント急冷法」(第四六頁右欄第三二行)によつて製造されたものであることが明らかである。しかしながら、前掲甲第三号証によれば、引用例には「遠心急冷法」及び「フイラメント急冷法」以外にも多くの非晶質合金の製造方法があることが開示されており(例えば、第四〇頁右欄第一〇行、第四一頁右欄第三三行、第四二頁左欄第九行及び第一〇行、第四五頁左欄第三七行及び第三八行、あるいは第四七頁左欄第二六行及び右欄第一行)、しかも、予稿10には「合金の磁気的性質は合金の製造過程における冷却速度の差によつても微妙な違いを示す場合があり、データーの再現性については慎重な検討を要する。(中略)合金の製造方法が異なれば当然実験結果も違つたものになる場合も考えられる。」(第四三頁右欄第一六行ないし第二一行)と記載され、予稿11には、「非晶質金属に特有な優れた電気的、機械的と磁気特性を組合せることによつて、新しい磁気応用材料の可能性が考えられる。」(第四五頁左欄第一一行ないし第一三行)、あるいは、「非晶質体の等方性が磁化過程に反映しているように思われる。今後、磁気弾性効果、静磁効果をもつて実際に定量的に考慮した上で磁気異方性を詳細に検討する必要があろう。」(第四六頁右欄第五行たいし第八行)と明記され、また、第四一頁右欄第一八行以下の「アモルフアス強磁性体Co-Pのスピノーダル分解」と題する9項には、「低温熱処理により、その磁気特性を種々変化させることができる。」(第四二頁左欄第二行及び第三行)と記載されていることが認められるのであるから、当業者ならば、原告が指摘する引用例の記載部分にかかわらず、引用例記載の非晶質合金は本来的に電磁装置の磁心に採用し得るものであり、その製造方法、あるいは熱処理等の変成方法を適宜に選択することによつて磁心に適した特性を有するものを得ることが可能であると予測することは容易であつたと考えざるを得ないのである。付言するに、非晶質合金は製造方法が異なることによつて合金の非晶質構造、ひいてその磁気構造に差異を生ずることは、原告も自認しているところである。

5  以上のとおりであるから、引用例は引用例記載の非晶質合金を電磁装置の磁心に用い得ることが示唆されており、本願発明は引用例記載の技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定及び判断は正当であつて、審決に原告主張の違法はない。

三  よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井俊彦 裁判官 春日民雄 裁判官 岩田嘉彦)

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